私の好きなことや言葉で、誰かの窮屈さが一瞬でも和らいだらいいなと思っています

義務感についてと自己紹介

義務感についてと少し自己紹介

 去年の7月に開業届を出して個人事業主になってから一年が過ぎました。その年の3月に大学を卒業していましたので2カ月ほど働いた後、個人事業主になってからは出勤する義務も取引先を訪問したりすることもなくなりました。大学に行くこともないため、外に出る理由が上手く作れずに余計に体調が悪くなっています。
所属する組織もなくなったので、「大学生」といった肩書のないただの”一個人”になってしまったのです。組織の規則としてやるべきことはない一方で、うつ病は相変わらずついて回るので計画的に仕事をこなすこともできません。現実に変化はなく、いつの間にか時間が経過して季節が進み、考える時間が増えて申し訳なさだけが大きくなってしまいました。そのことが余計にやる気が出なくなって身体が動かない、負のループにつながり困惑する……。このまま28歳の働き盛りの歳が座ったまま終わりそうで、でも抜け出す方策が見い出せない……。いつまでに何をするのか、そうした計画が立てられないので本当に途方に暮れていました。一年以上を経過した現在も個人事業からの収益はほとんど出ていない状況となっています。

 私が初めて精神薬を処方してもらったのは中学生の頃でした。
若い人生の既に半分以上が精神の不調で、ここ5年程はこのまま症状が改善せず、動けるように
なった頃には多くのものを失っているのではないかという不安に苛まれています。
その日も昼前に起きてから夕方までほとんどしたいことができずに嫌な気持ちになり、何となく二階の部屋に行ってその部屋の床に寝転がっていました。少しだけ脳みそが回復してきて冷静さを取り戻していたので、その時は落ち着いて自分を見ることができました。
 今日も何もせずに一日が終わるなあと考えていたらふと、毎日苦しいのはどうしてだろう? と問いがなされたのです。生活にリズムをつけるためにTo do listを作成したものの2週間経っても消化出来ない項目が複数あって嫌気が差し、リストの名称をやりたいことリストに変えても同じ結果になるし、打開策がなく行き詰っていました。どうしたら少しでも楽に過ごせるのか……。
その原因をよく分析していくうち、自分の人生やること成すこと全て義務感でしていることが
関係しているのではないかと感じたのです。

 私には4歳下の知的障害の妹がいて、家の中も安心できない場所だったため私は健常者に
生まれた者として障害のある人の分まで何倍も努力して手を抜いてはいけないと思って毎日を
過ごしてきました。小学校の高学年から精神的に不調であり、高校時代は勉強が忙しすぎて
うつ症状が大きく出なかったのですが、やはり精神的な面での困難さが受験において影響を及ぼし、
結局浪人、希望でない大学に一年通学、浪人、希望大学へ入学後二年生時に休学することになりました。2浪目がスタートした4月に一年間ガンで入院していた知的障害の妹が亡くなりそこから通院とカウンセリングを受けながら受験をしていました。

 そんな過去を経てたどり着いた今が泥水をすするような生活でしたので、何のために必死で生きてきたのか分からなくなっていました。少しでもまともな人間になれるように日々の家事、作業、楽しい事さえもやるべきことと捉えその楽しいことも「楽しむべき」と思っていることに気が付いたのです。
そう思い至った時に、自然と長い息が出て肩の荷が降りたことを感じました。

 ──早くうつから抜け出したい、社会に貢献したい、職場に戻りたい──。うつ病になった
多くの方がそう考えているのではないでしょうか。それまで力を込めて仕事ができていたのだからそう願うことはとても自然なことですし、私自身もそう考えて生きていますが日常生活ではつまづくことばかりで、焦りが募る。でも現状、あらゆる行動が義務感に搔き立てられる生活をしていても全然気分が楽になった感じがしない。健康な状態に復帰することがむしろ遠のいている気がする。
そうなるとうつから回復したいという中で、強い義務感は逆にその回復を困難にするのでは? 
そう感じた私は義務感を一旦脇に置いて過ごしてみることを決めました。

 今まで義務感や自己否定を動機に行動をしていたのですから、意識を変えようとしてもそう簡単にはいきませんでした。楽にしてもいいと思える時も、自分を責める時も波の満ち引きのようにどちらも混在していました。それでもできなくても責めないで許すことを意識していると無理な行動が次第に減っていき、家事はできない時はしない、アニメや映画は気が進まないなら見ない、寝るのも起きるのも気分次第。──家が汚くなっても世間で朝型人間が賞賛されていても回復すること、その日をやり過ごすことを大切にする──。
そう言い聞かせられるようになりました。「やるべき」だと感じた時、本当に力む程のこだわりなのか、それとも他者からの見え方を意識した先回りなのか仕分ける癖がつきました。

 しかし、前述したように当然そのようなマインドを持ったとしてもいつも平穏ではいられないし、焦りもします。その時に意識していただきたいことは、焦りから生じた義務感をそのまま行動の動機にすると却って不安は増大してしまうということです。
焦ること自体を止めるべきだと感じることも同じです。気分の沈み込みを小さくするために

・感情はそのまま観察する
・義務感がどこかに生じていないかを意識する
・そして見つけた義務感を疑う

ことを試みて下さい。うつ発作が出ている時は感情優位になっていて
そもそも客観的分析が困難ですから、余力がある時に偶然この記事が思い浮かんだら
試してみて下さい。
(繊細で真面目な人ほど自分ができていないことに目が行きやすく、それを当たり前だと
思っているので義務感検知が難しい傾向にあります)。
義務感を疑う」ことで自分の生活がどのくらい義務感に覆われているのかを知る一歩になります。
ぜひご一考ください。

※私は通院+投薬治療の継続が8年目です。治療開始はもっと前ですから自分の認識の中でも症状は改善を見せています。症状の重さや治療期間によって、できることや踏んでいくステップは全く異なりますので、あくまで一例としてご参考にしていただきたいと思います。本当にできない時はどうやってもできないので、どうかまずはご自身が少しでも楽になる方法を第一優先にしてください。

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