この世で一番好きなこと、すぐ思い浮かびますか?
何気なく読んだ記事で仕事で成功している外国の人々に「あなたにとってこの世で一番お気に入りのものは何ですか?」という質問をしてその答えをまとめたものがあったんです。ある人は昼下がりにこだわりの紅茶を飲むこと、別荘で静かに過ごすことなどを挙げていました。皆さんはそう問われた時に何がぱっと思い浮かびましたか?
好きな映画や音楽、毎年行っているお気に入りの場所、一日で楽しみにしている時間帯、宝物、集中出来る空間etc……。
私はこの一番○○(好ましいこと)という問いを見た時、色々な感情が駆け巡って自分って何なんだろうと考え込んで動けなくなってしまったんです。毎日出来ないことばかりが目に付いてどうしたら不安の無い生活になるのだろうかと暗いことを考える時間が長かったので、自分にとって幸せなこと、しかも「一番」という強い言葉のついた嬉しいことを考えたことがここ数年でほとんどなかったということに気が付いたんです。嬉しいことの中で一番の上のものは何かなんて意識の上にのぼらなかったことに唖然としたんです。
その記事を読んだ後に自分の楽しいことについて考えてみたところ、うつでネガティブバイアスもかかっていたのでそもそも「良いこと」の基準が分からなかったんですね。まず自分の人生が良い気がしないし、「良い」と認定すること自体が許されない気がしてしまって決めかねてしまったんです。良いと思うと次に同じことをする場面で急に冷めそうな気もするし大げさに思うかもしれませんが、ちょっと重大な問題になったんです。
それでも考えているうちに、身構えず難しく考えずいつの間にか取り組んでいるものはきっとやりたいことなんだろうということになりました。どんなに環境が変わっても気づいたら続けていること、他のことをしていてもそのことを考えている、取り組み始めたらいつの間にか時間が経っているそんなことがそれに該当すると思うんです。
私の場合は、一つは植物の栽培です。大学のために一人暮らしをした時も今も気づいたら植物を育てていて、実家から出る時も実家に帰ってくる時も車に植物を乗せて大事に運ぶくらい植物が大好きだということに思い至ったんです。実体があって成長したり、数が増えたりする。心の内面の成長、今後の人生の様子そんな不明瞭なものとは異なるその特徴は自分にとって安らぎだったんです。同様の理由でハンドメイドで木や花、動物の角を使って小物を創ることもずっと続けられています。自分の実体ないアイデアを形にすることが良いのでしょう。
あとは小さい頃から読書が好きで、そのうちに物語を書くことも好きになっていました。意外と挙がりましたね。そのいずれも体調が悪いと出来ずにぐったり横たわったままになっているわけですが、体調が上向けばすぐにでも取りかかりたいとタイミングを計っていることに気づいたんです。
私の幸せは誰かから必要とされて、持っている資格や性格を活かしてお金をもらってそれをまた誰かのために使うようなことを一番だと思っていたのですが、それは現状の体調ではとても高度なことで、すぐにそこにたどり着けるものではなかったんです。いつも思ったことができず、自分がだめな気がしていてその不足分を補うには難易度の高いことを必死にするしかないと強く思っていたんです。
今もたまに急いで自分の生活ができるくらいの収入がほしいと思うこともあるんですが、幸せなこと全部が簡単には手が届かないわけではないと考えるようになったんです。——これを私は幸せとする——と考えることさえ出来れば、一つくらい幸せが地面に落ちているというのは荒唐無稽というわけではないと思います。自分の生活に簡単に手に入る楽しいことが一つもないと断言することは全ての人が各自で楽しみを見つけて人生を楽しんでいると断言するのと同様に根拠の薄いことだと思いませんか。
うつ病をはじめとしてつらい出来事の渦中にいる人は幸せや楽しいことに関する条件を引き上げていることが少なくありません。もしかしたら幸せを見つけること自体を許されないと思ってしまっていることもあるかもしれません。
ただでさえ、難しい人生です。「良いこと一つ見つけたから何だ?」と言われるとその一つで生活の状況が様変わりすることはそうそうないでしょう。
しかしながら、つらいことは必ずやってくるのでせめて体調がまずまずの時には楽しいと思えることの基準を少し下げて自分にとって良いこと・楽しいことを一つ拾うやり方を試してみませんか。